로그인――あたしはさっそく江坂部長から、会社のWEBサイトに載せる春の新ブランド紹介のページ制作を依頼された。
「これはデザインを担当したあなたの仕事だから、あなたにしか頼めないの。実際の商品のイメージ画像がこのUSBに入ってるから、担当デザイナーとしてのコメントとか、このデザインにしたあなたの狙いとか、何でもいいの。文章にしてこの画像と一緒に一つのページにまとめてくれる?」
そういうのは広報部の仕事じゃないのかと疑問をぶつけたあたしに、部長はそう言った。
担当デザイナーであるあたしにしかできない仕事。つまり、あたしにはこのブランドの売れ行きを左右する大きな責任があるということだ。いかにこのデザインが素晴らしいかを、どう文章にまとめるのか――。
「……なんか、由衣一人だけが別の次元にいるみたいだね。バリキャリになったみたい」
玲奈が隣のデスクから、頬杖をついてそんなコメントをしてき
――幸樹さんが逮捕されてから二週間後、彼は有休を消化されてから解雇され、商品デザイン部のオフィスもあたしの身の周りにも穏やかさが戻った。 彼は「副社長と親戚だ」とか吹聴していたけれど、実は副社長の妹さんの嫁ぎ先の甥という、「親戚」と呼んでいいかは微妙な関係だったことが判明した。とはいえ、副社長はご自身にも責任があるとおっしゃって、自ら副社長の職を退任された。 そして、あたしは四月から正式にデザイン部のチーフに昇格することが決まり、そして新ブランドのデザイナーとしても他の人のデザインを監修することになった。 これからは仕事もますます忙しくなるけれど、直也くんとはちょっとだけ関係が進展して今は半同棲の状態になっている。「――由衣、最近なんか幸せオーラが滲み出てるよねー。幸樹さんと付き合ってた頃よりキラキラしてる」 社食でランチのエビピラフを食べていると、向かいの席でエビフライ定食を食べている玲奈からそんなコメントをされた。「うん、分かるー? 今すっごく幸せなんだ。毎朝直也くんと顔合わせてるとね、彼のことどんどん好きになってくの。直也くんは優しいし頼もしいし、作ってくれるゴハンは美味しいし」「はいはい。今日もおノロケごちそうさま」 玲奈は半ば呆れながらも、何だかんだで楽しそうだ。彼女はこれまで、あたしがあの人から散々泣かされてきたのを見てきたから。いちばんの親友として、あたしが今心から恋愛を楽しんでいることが嬉しいんだと思う。あたしが直也くんに泣かさ
「――直也くん、ちょっと大事な話があるんだけど……」 今日は直也くんがお休みの日だったので、彼の部屋で一緒に晩ゴハンを食べている時にあたしは思い切ってあのことを話そうと思い、口を開いた。「ん、なに?」「実はあたし、まだ男の人に対するトラウマが完全に治ったわけじゃなくて。……だからその、直也くんには色々とガマンさせちゃってるかもしれないなと思うんだ。直也くんだって、ホントはあたしとしたいと思ってるんじゃない? でも、あたしがこんな状態だからガマンしてるんじゃないかな……って」「……うん。まあ本音言えばな、俺だって男だし、そういう願望がまったくないわけじゃねえよ」「やっぱり……、そうだよね」 あたしがガックリと肩を落とすと、直也くんが慌ててあたしに「待った」をかける。「待て待て、最後まで聞けって。……でも、お前にムリさせてまでお前を抱きたいとは思ってねえよ。それも俺の本音。それくらいお前のこと大事だから、俺がガマンするくらいのことは何とも思ってねえんだ。それに、体の関係なんかなくたってさ、俺たちは気持ちが繋がってるから大丈夫だろ?」「うん、そうだね」「前にも言ったけど、俺はお前が完全にトラウマ克服できるまで、いくらでも待ってられるからさ。それこそ一生かかっても」「……えっ?」 それってどういう意味だろう? 戸惑うあたしに、彼は照れたように頭を掻きながら言った。「由衣、俺たち結婚しねえか? お前さえよければだけど」
直也くんは大声で怒鳴ったわけじゃないのに、その静かな怒りが幸樹さんを青ざめさせた。そんな彼に、あたしが思いっきり平手打ちを食らわせる。「……あたしが今まで味わってきた痛み、少しは分かりました? でも、あたしの痛みはこんなもんじゃ済まないですよ。ことあるごとに、あなたはあたしを殴ったり突き飛ばしたりして、あたしの人格を否定するような言葉を投げつけてきて。そのせいであたしは心も体も傷付きまくってボロボロになったんです。こんなあたしの気持ちなんて、あなたには分かんないでしょうね」 頬を叩かれた痛みに目を瞠った幸樹さんに、あたしは泣かずに自分の気持ちをすべてぶちまける。今、あたしはこの男に対して怒りと哀れみの感情しかない。 直也くんもまだ怒りが収まらないらしく、幸樹さんを関節技で締め上げようとする。「俺はなぁ、この仕事好きでやってんだよ。プライド持って続けてんだよ。お前は俺だけじゃなく、この店のオーナーシェフの要さんのこともバカにしたんだよ! 料理人なめんな!」「直也くん、ストップストップ! こんな人相手でも暴力はダメ。直也くんまでこの人と一緒になっちゃうから」 あたしはそんな直也くんを制止した。幸樹さんが気絶しかねないと思ったからだ。あたしも幸樹さんを引っぱたいたけれど、それは当然の権利だろうし暴力には当てはまらないだろう。「――藤川幸樹さんですね? 警察の者ですが、こちらにいる一ノ瀬由衣さんからあなたにDVの被害届が出されています。これが傷害罪の逮捕状です。署までご同行を」 ちょうどいいタイミングで、渋谷南署の生安課
――あたしはさっそく行動を開始した。まずは〈止まり木〉を出たその足で、マンションがある渋谷区が管轄の警察署へ出向き、何度も相談に乗って頂いている生活安全課の担当刑事さんに例の音声データと昨日の診断書を提出した。 音声データは警察署へ向かう直也くんの車の中で、予めノートパソコンを使ってUSBメモリーにコピーしておいたものだ。あたしは同じものを二本作っておいて、もう一本は会社に提出するつもりだ。 女性を含む数人の刑事さん立ち合いのもと、音声を聴いてもらったり、アザができている患部の写真を撮られたり(撮影したのは女性の警察官だった)しているうちにお昼を過ぎ、直也くんとは一緒にマンション近くの回転ずしチェーンでランチをした後、「これからディナータイムの仕込みがあるから」とそのお店の前で別れた。『――やっぱり由衣は、美味そうに食ってる顔がいちばん可愛いよな』 お寿司を頬張るあたしに、彼は笑いながらそう言ってくれた。あたしに元気が戻ったことを彼も喜んでくれたみたいだ。 ――そして翌日は会社へ出勤し、江坂部長にあの音声データのUSBメモリーを「あたしが盗作なんてしていない」証拠として提出した。 この音声データとあたしが手がけてきた過去のデザインのデータ、そして商品デザイン部にいる同僚たち(もちろん玲奈も)の証言を検証した結果、あたしの盗作疑惑はすぐに晴れ、逆に幸樹さんに対するコンプライアンス違反の調査が行われることとなった。 * * * * ――〈止まり木〉を訪れて一週間後。あたしはついに、幸樹さんに別れを告げる日を迎えた。
「――あ、そういやお前、昨日のやり取り録音してたんじゃなかったっけ?」「そうだ! この録音もDVの証拠になりますよね?」 直也くんに言われてICレコーダーの存在を思い出したあたしは、バッグからレコーダーを出して史絵さんの前で再生ボタンを押した。「……由衣、これは会社の上の方にも提出した方がいいんじゃねえか? コイツ、自分でお前を嵌めたって自爆してんじゃん。これでお前の昇進の話がなくなることもねえだろ?」「あ、そっか」「由衣さん、あなたその人から暴力だけじゃなくて、そんな嫌がらせまでされていたの? もう、すぐにでも別れた方がいいわ。それと、この人を会社で裁いてもらいましょう。そしたらあなたが今の仕事を辞める必要もなくなるし」「そうですね。じゃあ、まずは何から手をつけたらいいでしょうか」 昨日あれだけ直也くんの前で泣いて弱みを全部さらけ出したので、あたしの中でも覚悟は決まった。今は本心から、幸樹さんなんて怖くないと思える。「まずは、この音声のコピーを取って警察と会社の上司の人に提出することね。オリジナルは保険のために、由衣さん自身が持っているといいわ。警察にはすぐにDVの被害届を出して、会社にはその彼の解雇処分を検討してもらいましょう。こういう人なら由衣さん以外にも被害者がいるかもしれないし、彼のしたことは会社にも損害を与えているから立派な解雇理由に該当するわ」「あ、そういえば前にも彼からあたしと同じような被害を受けて、会社を辞めた女性がいたって聞きました」「やっぱりそうでしょうね。さっきの音声で言っていたデザインの盗作というのも、あなた
「――お待たせ。お茶が入りました。じゃあさっそく、飲みながらでいいから話してくれないかしら。一体何があったの?」 あたしは史絵さんが淹れて下さった温かい緑茶を飲みながら、本題に入る。昨日、会社で人気がないところへ連れていかれ、思いっきり突き飛ばされて左肩をぶつけて大きな青アザを作ってしまったこと。直也くんの前では精一杯強がっていたけれど、本当はもう怖くてたまらないということ。幸樹さんにはもう会いたくないけれど、会社を辞めるのは自分が逃げるみたいで理不尽だと思っていることを、あたしは自分の言葉でしっかりと史絵さんに話した。「……つらかったわね、由衣さん。よく話してくれました。ねえ、その肩のアザというのを、今ここで確認させてもらってもいいかしら? 直也さん、できればあなたも一緒に」「えっ、俺も……ですか? 由衣、どうする?」 直也くんにはまだこのアザを見せていないけれど、彼がためらうのはあたしがここで服を脱ぐことに困惑しているんだと思う。でも、タートルネックのニットの下にはちゃんとキャミソールを着ているし、この二人だけになら見せてもあたしは別に構わない。この相談室は外から見えないようになっているから。「いいよ、あたしは問題ない。――それじゃ、ちょっと失礼して」あたしは湯呑みをテーブルの奥の方へ寄せ、その場で服を脱いだ。ついでにキャミソールの左の肩紐をずらし、肩に貼っていた湿布薬も剥がすと、少し紫色になってきた大きなアザが露わになった。「……&hel
「あたしを……好き? だから、あたしの隣の部屋をわざわざ探して引っ越してきたの?」 もし本当にそうだったら、直也くんはストーカー予備軍かもしれないとちょっと怖くなった。「あー、違げーよ。隣に越してきたのはマジで偶然だって。でも、昔からお前のこと好きだったのはホントなんだ。……つっても迷惑だよなぁ。お前、一応
「お邪魔しまーす。……わぁ、確かに荷物少ないなぁ。これだけ?」 彼の1DKの部屋に上がらせてもらうと、思っていたより荷物は少ない感じだった。玄関に靴は数足しかなく(それも靴箱に収納された分も含めて)、キッチンにはお鍋などの調理道具と調味料類、作り付けの食器棚には食器が少し。さすがは料理人という感じだ。 居間兼寝室には洋服やバッグ類が入っているだろう段ボール箱が二、三個しかない。あたしの部屋も同じ間取りだけれど、もっと物が多い。片付いてはいるけれど。「直也くんってミニマリストなの?」「いや、そんなんじゃねえけど。男のひとり暮らしに必要最低限の荷物ってこんなもんじゃねえの? また増えるだ
「……えっ? ちょっと待って。お前……、彼氏いんの? マジか……」 そっか、まずはそこから話さないといけないのか。でも、なんか直也くんの態度がちょっとすねたみたいになっているのが気になる。「うん。同じ会社の三年先輩で、付き合って半年くらいだけど。……付き合うまでは、こんな人じゃないって思ってたの。イケメンで、優しくて、仕事もバリバリできて、あたしの憧れの人だったんだ。だから、付き合えることになった時はすごく嬉しかったのに……」「付き合い始めてから本性現したわけか。それまでは猫被ってたわけだな」 すすり泣きながら話すあたしに、彼はうーんと唸ってからそう言った。「そ
――直也くんと会うのは、高校卒業以来だった。彼は高校を卒業した後、調理系の専門学校へ進んだので、大学に進学したあたしとは進路が分かれてしまった、 彼の実家は母子家庭で、お母さんは朝から夜遅くまで働いていたのでほとんど家にいなかった。だから、朝ゴハンと晩ゴハンはウチへ食べに来ていたし、高校の時にはあたしが彼のお弁当も作ってあげていた。 とはいっても彼に好意を抱いていたとかそんなんじゃなくて、どちらかといえば同い年なのに近所のお姉さんみたいな感じで彼のお世話を焼いていたというべきか。彼があたしのことをどう思っていたかは分からないけれど。「あ……あの、直也くん。久しぶりだね。もう……七年ぶり